拳 聖 澤井 健一

澤井 健一
1903-1988
太気至誠拳法創始者
拳聖が歩いた道
柔道五段、剣道四段、居合道四段を修めてなお更なる高みを目指すために中国へと渡り、形意拳の達人、王郷斉(おうこうさい)老師に弟子入りした。
当初、外国人の弟子は持たないと断る王郷斉であったが、沢井の度重なる請願の熱意に打たれ、弟子入りを許可したと言う。
敗戦後、家族と供に帰国した沢井は、1947年、王郷斉の許可を受けて「大気至誠拳法」を創立し、明治神宮にて少数の弟子と供に稽古を開始する。
中国拳法諸派の中でも特に他流試合に積極的であり、実践性を重んじる数少ない流派として有名である。
極真空手との他流試合5対5マッチを始め、元自衛官であり、ボクサーとしての経験もある漫画家の板垣恵介氏は、取材の為に沢井の道場を訪問したところ、唐突に「やろうか」と立ち合いを求められたと自著で告白している。
その際立った実践性の追求と、現代には似つかわしくないストイックな鍛錬方法などは、流儀を越えて今も多くの武道家や格闘家に大きな影響を与え続けている。
澤井健一氏による指導風景
大気拳 VS 極真空手
拳骨和尚の伝説 宗 道臣

宗 道臣
そう どうしん
1911年-1980年
~本気で受け止める心~
少林寺拳法創始者の探求
日本少林寺拳法の創始者であり、思想家。
武道を通した人間教育に心血を注ぎ、「半ば己の為、半ば人の為」との信条を旨として、綺麗ごとだけでは無く、あくまで現実的な世界に生きるう上で、それでも尚、他人を受け入れる広い心を持つべきだとの教えを説いた。
幼少の頃に両親を亡くした事により、剣術家で柔術家でもあった祖父を頼って満州に移住する。
成長と共に中国各地を巡る武者修行を行い、中国武術の達人達から多くの技術を学んだと言う。

その後、1947年に帰国したが、自分の事しか考える余裕が無い当時の人々の姿を見て胸を痛め、他人を思いやる心をもってもらおうと、精神修養と護身を旨とした拳法及び宗教団体として「少林寺拳法」を創始した。
また、現代人が失いつつあるアイデンティティの問題にも、いち早く取り組み、氏曰く、「己こそ己の寄るべ、良く整えし己こそ、まこと得がたき寄るべなり 」の名句は、正に現代人の心に響くものである。
どんな苦境に立たされても、生きているうちは何とかなる。決して負けた訳では無いのだから勇気を持って立ち向かうべきであり、その勇気を持つ為の自信を養う事が肝要であると説いた。
それら日本古来からの武道精神を軸とする精神性に関心を得た皇族の三笠宮崇仁親王や笹川良一氏とも生涯を通じて親交が深かったと言う。
宗道臣 特集
テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体