ムエタイの芸術 サーマート・パヤクァルン

サマート・パヤクァルン
1962-
~天賦の才能~
伝説のムエタイ四冠王
11歳の時からムエタイの練習を始め、1980年頃からルンピニースタジアム(タイ国公認スタジアム)にて、ミニマム級、ライトフライ級、スーパーフライ級、フェザー級の4階級を制覇した。
サウスポースタイルのボクサーで、巧みなステップワークから少しのタイミングも逃さず急襲に転じることのできる天性の身体能力を備えていた。
1982年にプロボクシングに転向し、1986年にはWBC世界スーパーバンタム級王座を獲得する。
その後、1度の防衛には成功したが、翌年には王座から陥落した。
以降は、プロボクシングのリングから離れ、12年後の1994年、再びWBA世界フェザー級タイトルに挑戦したが惜しくも敗れ、2階級制覇には至らなかった。
プロボクシングでは、才能を発揮しきれなかったが、ムエタイのリングにおいては華麗なフットワークと試合運びで天才の名を欲しいままにした。
ムエタイの芸術とまで形容されたそのファイティングスタイルは、巧みな防御と的確な攻撃のバランスに優れ、乱打戦の最中にあっても、どこか余裕を感じさせる優美な雰囲気を纏っていた。
サーマートとは、タイ語で神から与えられた天賦の才と言う意味を持ち、パヤクァルンは虎を意味すると言う。

また非常に練習嫌いで知られ、世界タイトル戦の前でも最低限の練習しかせず、普段からタバコも吸えば酒も飲むと言う世界的なアスリートでは考えられない怠慢な様子も喧伝されているが、戦果のみが重要であると言わんばかりに一度リングに上がれば得物を狙う"虎"の如く、静かに相手を見据える野性味に溢れた姿があった。
また、格闘技だけでは無く、持ち前の丹精なルックスを活かして歌手やタレント業でも成功している。
ボクシング、ムエタイ合わせて5冠王に輝いた天才は、次なる標的に備え密かに爪を研いでいるに違いない。
プロボクシング戦績
23戦 21勝 12KO 2負け
ムエタイ戦績タイ国公認
ルンピニー 4冠王
サーマート・パヤクァルン
ハイライト ムエタイ編
サーマート・パヤクルアン
ハイライト ボクシング編
リングの赤い蝶 ベニー・ユキーデ

ベニー・ユキーデ
1952-
~リングの赤い蝶~
チャンピオンから俳優へ
米国カリフォルニア州ロスアンゼルス出身のキックボクサーで、父はスペイン人、母親はインディアンの血を引いていた。
父は元ボクサー、母はプロレスラーで10人の兄弟達も皆何らかの格闘技をしていたと言う。
そんな"格闘技大家族"の中で育ったユキーデは、幼少の頃より多数の格闘技を学んでいた。
青年期になると空手の大会で優勝を重ねるようになり、後にキックボクシングへと進み、実兄が創設した世界キックボクシング連盟のライト級のチャンピオンとなって活躍した。
その後、1977年に来日すると国内の有名選手達と多数の試合を行った。
試合着の赤いパンタロンとスピンキックや飛び蹴りなどの派手な技を駆使していたため"リングの赤い蝶"との異名がつき、エキゾチックなルックスから女性ファンも多かった。
オーソドックスなファイトスタイルから、突如として飛び蹴りを繰り出したり爆発的な打撃の応酬で相手を圧倒する場面が多く、緩急に富んだ見栄えのするファイトスタイルで観客を熱狂させた。
得意技とするバックスピンキック(後ろ廻し蹴り)はスピード、角度、タイミングにおいて高いレベルで完成された実効性と見た目を兼ね備えていた。
食事など健康面には非常に気を使い、酒やタバコは嗜まず、強い身体の養成に努めていたと言う。
試合前の健康診断を行うコミッションドクターは、これほど太く弾力性に富んだ動脈を持つ身体を診るのは初めてだ。これは、回復力に優れスタミナがあるという証だ。と述べている。
また、リング上の活躍だけに留まらず多数の映画に俳優として出演している。
1984年に公開されたジャッキー・チェン主演の映画「スパルタンX」では、キレのある格闘技術を駆使する凄腕のキャラクターを演じ、普通の映画俳優では表現できないリアリティに富んだ迫力のある格闘シーンを演出している。
映画「スパルタンX」格闘シーン
試合映像ハイライト集
プロキックボクシング戦績
61戦 58勝 49KO 1負
2無効試合
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