黒人初の世界王者 ジャック・ジョンソン

ジャック・ジョンソン
1878-1946
人種の壁を越え掴んだ世界ヘビー級王座
米国テキサス州ガルベストンの出身に因んで"ガルベストンの巨人"の異名で呼ばれた。
本名は「アーサー・ジョンソン」と言い、"奴隷"の子として生まれた境遇から黒人初のプロボクシング世界ヘビー級王者に上り詰めた。
1913年には、黒人に限定した世界ヘビー級王者となっていたが、その後に白人も含めた完全なタイトルを手に入れようと試みるも人種差別に阻まれ続けた。
当時のボクシングでは、カラーラインと呼ばれる白人が黒人の挑戦を嫌厭(けんえん)できるルールがあり、初めてカラーラインを使用したのは、ジョン・L・サリバンだったと言われている。
それは差別と言うより、黒人の能力を恐れての事であったとするのが通説である。
当時、黒人はタイトル戦以外であれば白人と対戦する事も可能であった。
それは、アメリカにおけるプロボクシングのヘビー級王座が大変な栄誉である為に黒人と競うに値しないとの考えが根底にあったと言われている。
しかし、ジャック・ジョンソンは、1908年にイギリスの白人元王者ボブ・フィッシモンズと対戦する機会を得て、2ラウンドでフィッシモンズを軽々とノックアウトした。
フィッシモンズはこの時、既に44歳となっており、かつての精彩は失われていた。
これをバネとして翌年には、カナダ人の現役ヘビー級王者トミー・バーンズとの対戦に漕ぎつける。
バーンズのマネージャーがレフェリーを務めるという驚異的な逆風が吹く中、ジョンソンは、崩れ落ちそうになるバーンズを何度も立たせて、また叩きのめすという白人への憎悪にまみれた試合が展開され、見兼ねた警官が試合を止めに入る形でジョンソンのTKO勝利となった。
だが、最後の決定打のシーンは、カメラが停められていた。
王者となった後も、ジョンソンは白人社会で憎悪の対象として罵られた。
再び、白人の手に王座を取り戻す為、次々と白人の挑戦者との試合が行われた。
白人vs黒人の試合が社会に求められていた事もあり、ジョンソン自身も金にならないからとの理由で黒人の挑戦者を嫌厭する様なった。
黒人が黒人に対してカラーラインを使うという予想外の展開により、黒人社会の人々は反発を覚えた。
その後、紆余曲折を経てカウボーイからボクサーに転身したウィラードに敗れて王座から陥落した。
生涯戦績
142戦 100勝 51KO 14負
14分 14無効試合
ジャックジョンソンVSバーンズ
ジャック・ジョンソンVSウィラード
- 関連記事
-
-
パウンドフォーパウンド モハメド・アリ 2013/08/28
-
ソーラープレキサスブロー ボブ ・ フイッシモンズ 2013/08/27
-
小さな巨人 トミー・バーンズ 2013/08/21
-