カリブの女海賊 アン・ボニー

アン ・ ボニー
1700-1782
~カリブ海に輝く女海賊の伝説~
アイルランド共和国の最南端都市であるコーク県にて、弁護士をしていた父親とメイドとの間に私生児(父母が婚姻関係にない子)として産まれる。
父親は、不貞を犯した事への贖罪の思いから妻子と別れ、アンと母親を連れてアメリカサウスカロライナ州チャールストンに農場を購入し移り住んだ。
勝気で男勝りな性格へと成長したアンは、退屈な農場生活に嫌気がさして三流海賊のジェームス・ボニーと恋仲になり、父親の反対を押し切って西インド諸島バハマへと駆け落ちする。
そうして辿り着いたニュープロビデンス島の都市、ナッソーは、当時海賊共和国と呼ばれるほど無法者の拠点となっている町であった。
当初は、夫ジェームズと共に居酒屋を経営するなどして生計を立てていたが、ある時、店にジョン・ラカムと言う男がやって来た。
ラカムは、国の特赦により陸に上がっていた海賊であった。
アンはラカムの颯爽とした男っぷりに一目惚れし、ラカムもアンの美貌と勝気な性格が気に入り、二人は恋仲になってゆく。

ジョン・ラカム(キャリコ・ジャック)
アンは、夫に手切れ金として店の権利を譲り、海賊業を再開すると言うラカムに連れられ、にカリブの海へと船出する。
当時の掟では、女性は海賊にはなれず、乗船が認められていなかったため、アンは常に男装して誤魔化していたが、海賊仲間の間では女性である事は広く知られていた。
元来、勝気で男勝りな性格のアンは、屈強な海賊達に混じって大海原を駆け回った。
ある時、アンは、ラカムが襲った船の乗組員で新た手下に加わった者の中に美しい顔立ちの美少年を発見した。
アンはその少年がとても気に入り誘惑しようとしたが、それは自分と同じく男装して船に乗り込んでいたメアリー・リードであった。
美少年が女であった事実にアンはひどく落胆したが、ならば仕方が無いと割り切ると恋心はやがて友情へと変わり、それまで以上に強い絆で結ばれるようになった。
ほどなくアンとメアリーの異常に近い関係を怪しんだラカムは、メアリーに銃を向けるとアンとの関係を問いただした。
するとメアリーは、洋服の胸をはだけて自分も女である事を示しラカムを納得させた。
むしろ二人の関係を面白がったラカムは、特に問題ともせず、その後も変わりなく海賊業に勤しんだ。
かくして、大勢の荒くれ男達の中にただ2人の女海賊となったアンとメアリーは、友情を超えた深い絆で結ばれるようになり、共に助け合いながら男達よりも勇猛果敢に活躍した。
アンは大柄で戦闘力に優れた銃の名手であり、メアリーは剣技に秀でていたと言う。

メアリ・リード
ラカムの海賊団は、小さな商船などを専門に襲う比較的に小規模なグループであった。
それゆえに逃げ足も速く、大掛かりな掃討作戦では、なかなか捕まえられずにいた。
1720年、ついに業を煮やしたバハマ総督により派兵された捕縛船団は、ラカム海賊団を捉えるために八方からの総攻撃を仕掛ける。
この時、ラカムを含めた男達は、皆酒に酔って志気が下がっており、バハマ船団の急襲に怖気づいて、そそくさと船倉へと逃げ込んでしまった。
しかし、アンとメアリーの2人は、勇猛果敢に戦い最後まで抵抗したが、ついに捕らわれの身となった。
当時の海賊は、捕まれば縛り首と相場が決まっていたが、例外なく裁判でも死刑が言い渡された。
アンとメアリーが妊娠している事を主張すると処刑により胎児を死なせてはならない法律に基づき、刑の執行は出産終了後まで延期されることになった。
その後、彼女達の刑が執行された記録が無く、釈放されたのかどうなったのかは解らない。

ジャマイカの切手
一説によると、アンは有力者であった父親の助力を得て放免され、サウスカロライナに戻って再婚し、多くの子宝にも恵まれ長寿を全うしたとも言われている。
カリブの女海賊として、今なお語り継がれる彼女達の伝説は、未だ多くの謎に包まれたままである。
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