不世出の大横綱 双葉山定次

双葉山 定次
ふたばやま さだじ
1912-1968
ハンデを乗り越え打ち立てた
前人未到の69連勝
大相撲 第35代 横綱
大分県出身の大相撲力士で、本名は、穐吉定次 (あきよし さだじ)と言った。
幼少の頃、吹き矢が右目に直撃した事で半失明状態となり、また兄や妹、母親までも亡くすという不運に見舞われるが、父親の仕事を手伝いながら勉学に励み、成績も優秀であったと言う。
父親の海運業の仕事の手伝いで錨(いかり)を巻き上げる作業をしていたところ、力士の命綱とも呼ばれる右手の小指に重症を負う事故に遭う。
しかし、視力や指のハンデをもろともせず、未経験ながら出場した相撲大会では、取り組み方が解らず力任せに相手を上から押しつけて倒したと言う。
その様子を新聞記事で見て才能を感じ取った双川喜一(元大分県警察部長)の世話により、名門として名高い立浪部屋に入門する。
1927年、双葉山の四股名で初土俵を踏み、相撲道に邁進する事となる。
四股名の双の字は、紹介者の双川の一字から採られたものである。
入幕前は、普通より少し強い程度であったが、1931年、19歳で新十両へと昇進すると、4年後には小結へ昇進、その翌年からの3年間で、実に69連勝という前人未踏の大記録を打ち立てた。
1937年1月場所で全勝優勝、5月場所でも全勝優勝を果たしたことで横綱に推挙される。

翌年、横綱に昇進した双葉山は、1月場所から5月場所までを全勝優勝で飾り、1750年代の伝説的力士、代4代横綱の谷風 梶之助の63連勝の記録を150年ぶりに更新した。
その後も連勝記録は更新され続けたが、重度の体調不良を抱えながら挑んだ70連勝目の大一番に敗れ、連勝記録に終止符が打たれた。
3年ぶりの黒星が付き、70連勝まであと一歩のところで逃した双葉山は、悔しさや絶望感の表情を見せることなく、いつも通りに一礼すると、東の花道に引き上げたと言われる。
その後も、紆余曲折を経ながら新たに36連勝を記録したが、1945年、肉体の限界を感じ取り引退を表明した。
新弟子時代からも、ほとんど失明状態にある右目については、なまじ見えるよりもその方が返って都合が良かったと語り、勝っても負けても態度を変えることが無く、寡黙に相撲道に生きた明治生まれの横綱は、今も人々の記憶の中に生きている。
この先、双葉山の連勝記録が塗り替えられる日はくるのであろうか。
双葉山 ヒストリー動画
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