パウンドフォーパウンド モハメド・アリ

モハメド・アリ
1942-2016
史上最速のヘビー級ボクサー
自由への戦い~
米国ケンタッキー州出身のアフリカ系アメリカ人であり、他にもイングランドとアイルランドの血を引いていた。
旧名は「カシアス・マーセラス・クレイ・ジュニア」と言ったが、イスラム教に改宗した際に本名とリング名を「モハメド・アリ」に改名した。
1960年のローマオリンピック ライトヘビー級の金メダリストであり、プロに転向した後も多数のキャリアを重ねると共に大規模な社会闘争へも力を注いだ。
通算3度の王座獲得と19回の防衛に成功し、並みいる強豪選手達との死闘を繰り広げ多くの名勝負を残した。
パワーとタフネスさが重視された当時のヘビー級において華麗なステップワークから鋭いジャブやカウンターを放つ、テクニカルなスタイルは観客を魅了し、その姿は"蝶のように舞い鉢のように刺す"と形容された。
相手のジャブに対して、ストレートをカウンターを合わせられるほどの並外れたスピードを持ち、マイクタイソンを含めてもヘビー級史上最速であるとの呼び声が高い。
ボクシングとの出会いは、少年時代のある日に父親に買ってもらった大切な自転車を盗まれ、警察署に届けに行った際に担当の警察官から誘われたのが切欠であるという。
警官は盗んだ犯人に鉄拳制裁を加えてやれとアリに言った。承諾したアリは、ボクシングトレーナーをしていると言う警官のジムに入門する。
ボクサーとなったアリは、アマチュア選手として目覚ましく活躍した。
州の大会で数度の優勝を重ねた後、1960年のローマオリンピックで金メダルを獲得、その後プロに転向すると間もなく世界ヘビー級王座に輝いた。
しかしベトナム戦争の本格化が見え始めた頃、、アリは"自分はベトナムに何の恨みも無い"との心情をマスコミの前で吐露したのを切欠に長年に渡る社会闘争へと踏み込んでゆく。
国民の過半数が戦争を支持する中で有名人としては唯一、大々的に戦争を糾弾する抗議を続け世間からの非難を浴びる。
徴兵を拒否した事でボクシングライセンスを剥奪されると共に刑務所への収監を余儀なくされた。
自身の輝かしいキャリアを投げ打って選手生命の貴重な時間を失ってでも、実直な姿勢を崩さないアリの姿が世間に影響を与え、次第に支持する者も増え始めた。
3年後の1971年、裁判所による有罪破棄の判決と同時にボクシングライセンスが復活し、再びリングに復帰した後は多数の名勝負を繰り広げ賞賛を浴びた。
1972年には、"格闘技世界一決定戦"と銘打たれたプロレスラー・アントニオ猪木氏との異種格闘技試合も行っている。
この試合でアリのパンチを警戒した猪木氏は、試合開始から終盤に至るまでリング中央に横たわり続け、観戦者の予想を裏切る試合展開を演じた。
身長190cm、リーチ203cmとヘビー級として申し分の無い体格を持ちながら、さながら中量級の選手であるかのようなスピードと華麗なステップワークを駆使して相手を翻弄する鮮やかな試合運びについて、今なお史上最も偉大なボクサーとして讃える者は多い。
生涯戦績
61戦 56勝 37KO 5敗
モハメド・アリ ディフェンス集
神業的なステップとヒッティング
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