戦う大富豪 ジーン・タニー

ジーン・タニー
1897-1978
文武両道の秀才ボクサー
世界王者から財界人へ
アメリカニューヨーク州出身のヘビー級ボクサーで、ボクシング好きの父親からグローブを買ってもらった事を切欠にボクシングを始める。
19歳で志願して海兵隊に入隊すると軍内部のボクシング試合で頭角を現し、派兵された第一次世界大戦下のフランスでは、ライトヘビー級王者に輝いた。
付いたあだ名は、"The Fighting Marine"戦う海兵。
ディフェンスに優れた技巧派として定評があり、プロのキャリアでは"人間風車"の異名で知られる名うてのダーティーファイタに一度敗れているが、その後は連勝を続けた。
1926年、フィラデルフィアで豪腕のハードパンチャー「ジャック・デンプシー」の持つ、世界ヘビー級王座に挑戦しすると持ち前のフットワークを活かしてデンプシーの強打を封じ込め、世界ヘビー級王座を獲得した。
翌年にデンプシーの挑戦を受けてシカゴで再戦するが、7Rにデンプシーの強力なフックを受けてダウン。
カウント8で辛うじて立ち上がり、次の8Rには逆に右ストレートをお見舞いしてデンプシーをマットに沈め初防衛に成功した。

1928年、鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの遺産相続者である大富豪の女性との婚約と同時にボクシングから引退した。
引退後には、数多くの事業を成功させると共に現役時代からシェークスピアや哲学書を愛読する様なインテリであったことから、イエール大学で講師を務めたり、俳優として映画出演したりと多彩な日々を送った。
リング内外での活躍による多大な功績により、1980年には、世界ボクシング殿堂にその名を連ねた。
タニーのボクシングは、この時代には珍しく理論的に組み立てられたスタイルであり、フットワークで距離を取って左ジャブから右ストレートを放つと言った近代的なボクシングスタイルを既に確立していた。
また、相手の動きを察知して素早く放つカウンター攻撃を得意とし、数多くの強打者を抑え込んで試合を制した。
戦いを理論的に組み立てる明晰な頭脳とそれを実行できる身体能力、さらに相手の微かな予備動作も鋭敏にキャッチする繊細な神経を持ち合わせた類稀なボクサーであった。
生涯戦績
87戦 77勝 45KO 1敗 3分
ジーン ・ タニー
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