最後の実践合氣 塩田 剛三

塩田 剛三
しおだ ごうぞう
1915年-1914年
~不世出の武術家~
実践合気道の神髄
父親が小児科の医師をしていた事もあり、何不住の無い裕福な家に生まれ育った塩田は、小学校時代から柔道や剣道を習い、18歳頃には、講道館柔道三段を取得する程の腕前になっていたと言う。
1932年、通学していた学校長の紹介により、上芝盛平の道場を訪れた塩田は、初めて見る合気道に胡散臭さを感じて、その場で道場主の植芝に手合わせを申し込んだ。
内心では、事前の打合せでも無ければ、倒されることは無いだろうと鷹を括っていたが、いざ植芝と向き合うと足がすくむ様な威圧感があり、次の瞬間には身体ごと数メートルも吹き飛ばされていたと言う。
合気道の凄さを身をもって経験した塩田は、即座に入門を決意し、その後の内弟子期間を含めた8年間を植芝の下で修行した。
身長154cm、体重46kgと非常に小柄でありながら、後に不世出の達人、生きた伝説とまで形容されたその豪傑ぶりは、正に達人と呼ぶに相応しい数々のエピソードに彩られている。
当時の米国大統領、ケネディ夫妻が来日した際には、ケネディの護衛を務める巨漢のSPを瞬時にねじ伏せて強さを証明して見せた。
また、反射神経を鍛える訓練では、水槽を軽く叩いて瞬時に反応する魚の動きに合わせて身のかわし方を練習するなど特異な鍛錬を行っていた事でも有名である。
塩田は、スピードとタイミングが重要であると説明し、日常の生活が即そのまま武道に繋がっていると説明していた。
達人の境地に達した塩田の身のこなしは、一見すると遊んでいるかの様にさえ見える。しかし、警視庁の機動隊で合気道研修を受けた者達によれば、あれは、まやかしなどでは無く、人体の構造を理解した本当の技であると評したと言う。
生前の塩田は、「人が人を倒すための武術が必要な時代は終わった。そういう人間は自分が最後でいい。これからは和合の道として、世の中の役に立てばよい」と語り、護身術としての武道の意義を説いていたと言う。
塩田剛三 演武の映像
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