最強の腕力家 若木 竹丸

若木 竹丸
わかぎ たけまる
1911-2000
~ 脅威の怪力法~
単純腕力が格闘技術を凌駕する
東京都文京区出身のボディビルダーであり、父親は警察官であった。
少年時代に虚弱体質であった若木は、上級生からイジメを受けた事で奮起し、肉体を鍛え始めたと言う。
1938年、 著書「怪力法並に肉体改造体力増進法」を出版し、多数の著名な格闘家やアスリートに多大な影響を与えると供に
ウエイトトレーニングの指導を行なった。
身長162cm、体重69㎏、胸囲132cm、上腕周囲52cmという正に怪物的な肉体を持ち、ベンチプレス228キロ、フロワープレスでは300キロ以上を押し上げたと言う。
激烈な気性の持主であり、毎日10時間以上もぶっ通しで鉄アレイやバーベルを使用した鍛錬を行い、それでも自分以上に鍛えているヤツが居るかも知れないとの思いから、夜中であっても起き出してトレーニングを始めるほどであったと言う。
その凄烈なる肉体鍛錬は、たとえ就寝時であっても胸の上には常にダンベルを置き、トイレに行く時はそのダンベルを数回押し上げてから行き、戻ってくる時は部屋の鴨居に掴まり数回の懸垂を行なってから寝床に着いたという。
また、知り合いと食事をしている時でも、空いている方の手は常にハンドグリップを握り続けていたと言われている。
格闘技の素人であるにも関わらず、柔道の総本家「講道館」に昇段審査を受けに行き、何人倒せば五段になれるのかと訪ねたところ、初段から始める様にと諭されたと言う。
しかし、対応に出た柔道家たちは、若木の尋常ではなく鍛え抜かれた肉体を目にして驚きを隠せなかったと言う。
また、対ボクシングを想定した訓練では、床に仰向けに寝た状態から高重量の鉄アレイを持って、高速で垂直にパンチの軌道で突き上げる動作を気が遠くなるほど繰り返した。
その結果、ボクシング技術は皆無であるものの超絶的なパンチ能力を身に付けた若木は、体験入門するために日本拳闘倶楽部を訪れ、後に「日本ボクシングの父」と呼ばれる渡辺裕次郎などハイレベルな選手達とスパーリングを行い勝利する。
渡辺裕次郎は、全くの素人である若木の放つパンチを見て、当時、最速のパンチを誇る選手と同格であると評したと言う。
さらに武装したアウトローとの戦いでは、誤って相手を殺害してしまうも正当防衛として無罪になるなど壮絶なエピソードも残されている。
また、大変なヘビースモーカーであり、若き日に若木と出合った極真空手の大山倍達は、鍛錬方法を学ぶ為に若木の家を訪ねたところ、タバコを吸いながら高重量のダンベルを持ってトレーニングする若木の姿に強烈な印象を受けたと語っている。
そして、ある時は、当時の腕相撲の全日本王者と腕相撲で対戦し、ハンデとして相手の手首を持ったところ、軽く捻るだけで勝利してしまい、腕相撲に人生を賭ける全日本王者を自分にとっては余技で倒してしまった事に申し訳なさを感じたと言い、以後は腕相撲の場に姿を見せなかったと言う。
並居る怪力自慢や格闘技の猛者達をして、こんな事が現実に有り得るのかと目を疑いたくなるほどの超絶的なパワーを有していた若木は、格闘技の素人であったにも関わらず、多くの一流格闘家達から恐れられていたと言う。
若木の存在は、格闘技術が根本的な身体能力の上に初めて成り立つ事を証明していたのかも知れない。
テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体
| ホーム |